放射線量
異常値を示した瞬間のスクリーンショット

 異常値を示した2011年3月15日、16日のグラフをスクリーンキャプチャにより保管していましたので、以下に示します。
 コメントを通信学会に投稿した論文に合わせ、またFacebookページの書き込み、番組NHKスペシャルなどを参考に、現行化しました。2014.12.31

(1)  日野市から福島第一原子力発電所は北東約240kmにあり、3月15日には、北東の風が5m/s吹いていました。この風速であれば飛来に12時間かかります。
 15日朝6時頃、それの一部が北東の風に乗り、当地にまで飛来し始めました。当地は、南の風あるいは南西の風がよく吹くが、気象条件により、時たまこのような風が吹くときがあります。被災以降始めての北東の風でした。

2011年3月15日 8:18


(2) 15日の午前中にデータは急激に上昇し、12時21分に 89CPMを記録しました。0.75マイクロシーベルト/時に相当します。

2011年3月15日 20:19


(3) 引き続き何度か山があり、16日午前7時頃にまた、40CPMの山が観測されました。

2011年3月16日 8:19


(4) 3月16日の昼過ぎ以降にはいったん、20CPM程度に落ちました。

2011年3月16日 20:19

気象データとの突き合わせ
  当研究所は、気象データも計測しているので、放射線量と気象データを合わせて表示してみます。 放射線量はマイクロシーベルト/時に換算し、グレーの観測生データのほか、えんじ色で10分間の移動平均値も示してあります。風は、北から時計回りの角度で風向を示しています。(90度が東、180度が南を表し、1分ごとの計測を1つのドットで表示) 。当方から北東約240kmに福島第1原発があります。
 下の図は15日の値を示します。雨は降っていません。午前中はたまたま福島方向からの北東の風が吹いていました。当地は、南の風あるいは南西の風の頻度が高いのですが、気象条件によりこのような北東風が吹くときがあります。国会事故調 報告書によると、2号機は15日未明、格納容器が破壊され、それにより相当の量の放射性物質が大気中に飛散したとのことです。それが北東の風で流され、日野にも飛んできたと、理解できます。


2011年3月の記録
 2011年3月の1ヶ月間の図を下に示します。@は3月15日のピークで、aは上に述べた北東の風で、これにより放射性物質が福島から運ばれてきました。
 いくつかの山の後、16日の午後になると放射線量は、ほとんど元のバックグランド値に近い値にもどっているため、放射性物質は、地上に沈着することはなかったと理解しています。
 その後数日経過し、Aのように、3月22日0時頃に、ふたたび最大0.3マイクロシーベルト/時に上昇しました。これはbのように3月21日から22日にかけ27mmのまとまった降雨があり、空気中にあった放射性物質が雨滴とともに落下し、地面に付着したためと考えられました。事故後初めての降雨であり、風のデータはこの時も北東を示していました。
 しかしながら22日の異常値は各所で観測されており、15日飛来の放射性物質が空気中に残留していてそれが落下しただけでは説明がつかない大きな値です。この時点で新たに放射性物質が放出され、それが飛来したのではないかと推測できます。
 本件は千葉県、茨城県など各地でホットスポットを形成するなど、地表に放射性物質が沈着し長期間その場にとどまったため、影響力は継続することとなりました。にもかかわらず、各、事故調査委員会最終報告書には、被災4日間のみの記述しか無く、21日あるいは22日の放出についての記述はありません。ずっとこの新たな放出については謎のままでした。

 2014年12月21日(日)に放送された、NHKスペシャル「メルトダウンFile.5 知られざる大量放出」は、上に述べた謎を解明した、内容のある番組でした。キャプチャさせていただいた画面を使い、観測データの解釈を行います。

「NHKスペシャル メルトダウンFile.5」より

 番組ではいままでの事故調査委員会では、赤で示された始めの4日間のみ放射性物質が放出されていたとしていましたが、このグラフの黄色で示されたように、3月いっぱい出つづけていたとするものです。しかもその量は前者が25%で後者が75%であり、番組のタイトルも「大量放出」となっています。
 赤のグラフに3つのピークがありますが、それぞれ1号機、3号機、2号機から放出されたもので、当方の3月15日昼頃の観測は、この3番目に相当するものです。
 始めの4日間以外の大量放出すなわち、グラフの黄色で示された放射性物質はどの原発からどのようなからくりで放出されたものでしょうか。この番組では次のように伝えています。3号機には消防車により毎時30トンの水が送り込まれていたが、途中のパイプやポンプの破損により、水の大部分は別の箇所にながれこみ、炉心に到達したのはわずか毎時1トンであった。

「NHKスペシャル メルトダウンFile.5」より

 炉のなかの中心部にメルトダウンせず残っていた燃料は、水に浸されていなければならなかったが、水が充分ではなく水蒸気が発生していた。再現実験の結果、わずかな水蒸気があると、燃料を覆っている金属(ジルコニウム)と化学反応し、むしろ温度が上昇し、覆いがやぶれ、徐々に放射性物質がもれだした。そして長時間にわたって格納容器の隙間から放出され続けた。
 メルトダウンを止めるための水が、放射性物質の放出を長引かせてしまったと言うことです。3月15日の午後から電力が回復するまで約2週間続き、結果として大量放出となったとするものです。
 3月19日、20日にはかなりの量の放出で、それが北東の風で東京・千葉に飛来し、しかも震災後初めての本格的な降雨により、地上を汚したのでした。これは私の予見を裏付けるものとなりました。

「NHKスペシャル メルトダウンFile.5」より

 もう一つ重要な指摘がありました。この図の15日の夜間に全体の10%の放射性物質が放出されたとするものです。これは風向きのため、東京には飛来しませんでしたが、原発から北西の地域にきわめて強い汚染地域を作り出しました。この番組では3号機においてベントを繰り返し行ったが5回目のベントにおいて、それ以前のベントにより配管の中にたまっていた水に溶けた放射性物質が、最終的にいっきに押し出されたものであると結論づけていました。
 しかもその内容(核種)は放射性ヨウ素131であったとのことです。 いままで一般住民に対して,今回の事故で放射線の健康影響はほとんど無いと説明されてきたましたが,ヨウ素131はチェルノブイリ事故後に急増した子どもの甲状腺ガンとの因果関係が立証されており、ヨウ素131の正確な被ばく調査が重要であるが,半減期8日と短時間で消滅するため,いかにしてその量を推計するかが課題であるといます。今回3月15日夜間の放出がヨウ素131であったことが、始めて明らかになったわけで、その点でも重要と考えます。

 番組でもいっていましたが、原因はすべて解析されたわけではなく、まだまだ新たな事実が出てくると思います。それを究明しないと、廃炉作業の道筋も見えてこないし、再稼働原発の安全性も確保できないわけで、引き続き事実を解明し、ぜひオープンにしていただきたいと考えます。

データのアーカイブ
 2011年1月から毎日の計測結果をダイアリーとして公開しています。台風や降雪のあった特異日を見ることが出来ます。
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 2011年当時たくさんの質問が当サイトに寄せられました。その時のFAQを記録として残します。
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